今日は、12月1日。もうすぐ、2009年が終わるねーー
2010年。 最近、いろんなことがあって、いろんなこと考えて、いろんなことがありすぎて。 土曜日は、京都へ。 修士論文のテーマと言うか、内容を発表して、いろいろコメントいただきました。 ラテンアメリカの教育が専門の先生もいらっしゃったんだけど、 その方が、本当に的確にコメントをくださって、すっきりしたよ。 二言語教育、政府が「進めます」って言っちゃったことの難しさがあるよねー って、本当にその通り。 後はね、沢山のことを言おうとするんじゃなくて、ストーリーが大事だってアドバイス。 誰が聴いてもわかるように、データも、言いたいことも、すっきりとすることが大事って。 本当にその通りです。 あぁ。やらなきゃいけないことが沢山ある 久しぶりの京都。 沢山の観光客。久しぶりの友達との再会。新しい出会い。 前、京都の教員採用試験を受けていたときにお世話になった友達のところへ。 約2年。私も忙しかったけど、彼女もすごくがんばっていて、とても刺激になりました。 高校受験のときからの腐れ縁。 第2の幼馴染みたいなものですねーー これから、醗酵して、年がたつほどいいお酒になります☆ 日曜日には、高校時代にお世話になった方に会いに行きました。 いろんな話をしながら、 これまで、いろんな人に、相談に乗ってもらって、 いろんな人にアドバイスをもらってきたことが、本当に幸せだったんだなって思いました。 最近、授業も本当に面白くて、 毎回毎回、いろんなことを感じて、いろんなことを日記にも書きたいんだけど 間に合わない。 今、一個だけわかることは、 今は、修士2年の12月。っていうことかな。。。 #
by fujika0316
| 2009-12-06 18:15
| 近況
前回の日記で弱音を吐いたら、いろんな人に心配掛けてしまいました。
ごめんなさい。 誰でも「あー。私何やってんだろ。」って言いたくなったり、愚痴を言いたくなる時があると思うのですが、まさに、そんな感じなので、 心配しないでくださいねーー!! 修士論文は日本語で書くので、ちゃんとやれば卒業できると思います!! 大学院も、ここに来て良かったって思っています。 勉強する環境はいいし、留学生も沢山いるし・・ 他にも沢山。 実は、協力隊で活動していた時は、教員になろうと思っていた。 協力隊の時の同期で教員経験者が2人いたんだけど、2人とも本当にいい人で仕事も頑張ってて、そんな2人を見て、やっぱり、教員として現場の経験がないと何もわからないなぁと思って、任期を2週間短縮して日本に帰ってきました。 そして、10日後に東京都の小学校の一次試験受験。 その一週間後には京都市の小学校の一次試験。 その年は、ラッキーなことに教育基本法が改正した時だったので、 出題範囲が予想できたおかげで、両方とも一次試験に受かりました。 今考えても、どうやって、勉強と気持ちをマネージしていたのか・・・?? でも、やっぱり、もともと大学院に行きたかったこともあり、 京都でお世話になった友達が、大学院の博士課程で勉強していて、 その様子に刺激を受けたのもあり、 2次試験は行かずに、半年間小学校で働いて大学院に行くことにしました。 でも、じゃ、今、大学院に来ずに、教員をやっておいたほうが良かった?と聞かれると、 やっぱり、いや、大学院に来てよかったって思います。 ここに来なかったらできなかった経験があり、 出会えなかった人達がいて、 勉強できなかった、知ることができなかった内容がある。 そして、物事を考える幅とか、研究とは何か?っていうこと。 自分の気持ち的にも、「せっかく学ぶなら自分のものにしたい」っていうのもあったしね。 大学院卒業するからこそできる仕事もある。 それを、陰に陽にどう生かしていくかが、これからだと思う。 人生というか、仕事というかを考えた時、 1、やりたいこと、 2、できること、 3、やるべきこと、 4、やらなきゃいけないこと、 5、やったほうがいいこと、 がある。それぞれ、その反対(やりたくないこと、できないこと)のカテゴリーもある。 例えば、デパートに就職した女の子が、 本当は、イベント企画をしたいんだけど、 配属先がエレベーターガールだったから、その仕事はやらなきゃいけない。 もし、会社や国連機関で働いていたとしても 事務作業なのか、専門的な仕事なのか、現場には入れるのか、 実際には、何ができて、やりたいことができるかどうかは、その配属や担当次第であることが多い。 つまり、私にとって協力隊の後に、「小学校で働く」と言うのは、やったほうがいい仕事で、 「大学院に来る」のはやりたかったこと。なんだよね。 だから、やりたかったことを選んだから、自分で納得している。 そして、更に、時間軸を加えると、 今、やりたいこと なのか、 将来(15年後くらいに) やりたいこと なのか。 バラエティが出てくる。 例えば、子ども時代の例で考えると、 将来、音楽家になりたいから、 今、バイオリンは好きだから、練習したい。 でも、ピアノは嫌いなんだけど、将来のために、練習したほうがいいかなぁ?とか。 大学生が、 卒業後、学校の先生になりたいから、 今、教員採用試験の勉強をしなければならない。とか。 前例に挙げた、会社の中の仕事でも、今はやりたくない仕事を担当していても、それを一生懸命やることで、いつか、自分の好きな仕事ができるかもしれない。 だから、実際には、仕事の中でも、上の5つにカテゴリー分けできる仕事が、 いろんな割合で、更に、オーバーラップしている部分もたくさんありながら、 時間と共に、変化しながら存在していると思う。 (例えば、仕事でやらなきゃいけないことが、やりたいことだったら、幸せ感が増すよね。) だから、いろんな意味で柔軟に考える必要があるし、 そう簡単には評価できないことでもあると思うんだけど。 それで、最近の自分は「やるべきこと・やったほうがいいこと」ばっかり考えてた。 でも、自分の性格的には、「自分がやりたいこと」に挑戦するほうが好きで、 で、複雑なことに、「自分がやりたいこと」の幅が広いので、 「やるべきこと、やったほうがいいこと」もその中に入っているから、 混乱していたし、流れに任せればいいやーー。 って思っていた部分もあった。 でも、最近、やっぱり、もう一回「自分が何をやりたいのか」を、 短期、中期、長期で見つめたほうがいいなって思ったのです。 人生、一回しかないし。 更に、なんとなくやりたいことと、 本当にやりたいこと を、ちゃんと自分の中ではっきりさせないと、意外と無駄な時間というか、 いろんなところに手を出して、結局「あれ、何やってんだろ?」ともなりかねない。 しかも、人生という限られた時間の中で、「やりたいことを全部やる」のは無理だし、 生きていかなきゃいけないから、お金も稼がないといけない。 そうなると、やっぱり、ちゃんと、自分の中のやりたいことを整理する必要がある。 「本当にやりたいこと」 なのか、 「ちょっと、面白そうだから、やってみたいこと」 なのか。 やってみたいことに手を出していたら、本当にやりたかったことに挑戦する機会がなかった。 とかね。 そう、ひとつの物を選ぶことで、「選べなかった物」がある。 更に人生には、「自分がやっていること」のほかにも、人間関係とか、家族とか、 いろいろなファクターも関わりあっている。 私が今、大学院に来たことで払った「機会費用」は大きいなぁと思うんだけど、 何よりも、「お金では絶対に買えない“時間”」と言うものがあって、 それを思った時に、今、ここで得た視点や考え方は、何よりも貴重だと思ってる。 この前行って来たグアテマラの経験も、自分の中ではやっぱり貴重。 そんな感じで、つまり、自分の頭の中は混乱状態ですが、 修士論文もやりながら、そっちもいろいろ考えてみたいとおもいます。 #
by fujika0316
| 2009-11-24 10:23
| ひとりごと
今日、TOEFLのテストを受けてきたよーー
やっと、終わった。 結果は、空けないとわかりません。 前回よりは落ち着いてたかな。 はぁ。 気持ち的に追い詰められてた一週間が終わってよかったーー。 私が英語が嫌いになったのは、中学校のとき。 中学校1年生のときの初めての中間テストで カンマとピリオドを文章につけなかったら、全部×になってしまった。 授業中そのことを説明されたときに、私が聞いていなかったか、寝ていたか・・・。 それとも、そんなの当たり前すぎて、説明されなかった。 けど、私の周りはみんな塾に行ってたから知っていたか。 それ以来、なかなかぬぐえない英語トラウマ。 高校のときも、受験英語と文法と、暗記ばっかりで、 英語なんてぜんぜん楽しくないって思ってた。受験のためには勉強したけど。 学校教育にも悪いとこあるよね。 うん。 逆に、そんな経験があるから、途上国の教育事情や、 二言語の狭間で悩む子の気持ちがわかるのかも。いや、わかる人になりたい。 そんな私が、こんなところで勉強しているなんて。やっぱり、間違ってるのかも。 英語の苦手意識ばっかり先行してーーー ちなみに、今日の最後のライティングのテーマは、 子どもが学校でいい成績をとったときに親がお金をあげるのはいいことだと思うか? ってテーマだったので、熱く語ってきたよ!!!(笑) 逆に気持ちよかった。うん。 一方、スペイン語は、その環境に放り込まれて、サバイバルながら理解。 なんか、好きなんだよね。感覚的に。 ちゃんと、この英語トラウマ克服したいな。 話は変わりますが、私の小学校教員免許は、平成17年に東京都で発行されていて、 その番号は 11212 番でーす。 なんかさ、 いち、に、いち、に って、子どもが歩く練習してるみたいじゃない?? そんな風に、一歩一歩、自分の道を、自分のペースで歩きたい って言うのは希望で、 今は、どんな道なのかわからないし、 世の中は、自分のペース以上のものを要求するのが普通だよね。 #
by fujika0316
| 2009-11-21 18:42
| 近況
昨日は、日本のある大学に客員教授で来られているナイジェリアの先生が大学に来て、多言語社会における識字の発展について、ナイジェリアのケースを元にお話をしてくださったよ。
名古屋駅までお迎えに行った時は、お会いするまでどんな方なんだろう・・ とドキドキしてたけど、会ってみたらアフリカの肝っ玉お母さんみたいで、明るくて、とてもステキな方でした!! 講義の中で一番驚いたのは、ナイジェリアには500以上の言語が存在していること。 この言語は、方言とは違って、ちゃんとした別の言語だそうです。 すごいねー。 グアテマラの24言語なんてかわいいものだと思いました。 質問の時間には、政策、識字の測り方、機能的識字、教科書、教員のこと、いろいろな議論が出て面白かったよ。 他にも、言語とアイデンティティの話にもなって、いろいろ考えました。 そして、その先生の中のナイジェリアにおける機能的識字は何かと言う議論の中で、 彼女は、ナイジェリアでは、実際にその社会で生活するには「英語が話せること」と言われていたのがすごく印象的でした。 小さなコミュニティーで生活するには、その地域の言語が話せたら十分だけど、銀行に行ったときの手続きが英語だったり、電化製品を買った時の説明書が英語だったり。新聞や本当の出版物も、英語が主流になっている。 学校教育の中では、小学校1から3年生の間は母語で指導し、母語を教科としても勉強している。そして、4年生以降は、英語で授業を受けるそうです。 大学に入る時には、英語のテストがあるので、それまでにしっかりマスターしていないと進学できないのです。 この教育システムの中で、中学校くらいまで終了した人は英語がある程度理解できるようになっているだろうけど、小学校に通っていなかったり、途中で退学をしたりすると、英語を話せるようにはなれない。だから、識字率も子どもより学校システムが広がる前に子ども時代を過ごした大人のほうが低い現状がある。 機能的識字が「英語を話せる社会」にあって、家庭では地方の言語を話している家庭の子どもたちは、英語を学ぶ機会は“学校”という場所に限られている。そんな社会でより良い生活を送ろうとするためには、学校に通って英語を習得する意義が大きくなる。というとこは、同時に、「学校に行けなかった時に不利になる可能性」も大きいんだね。 なんか、いろいろ考えたのでした。 そして、私の中で、一番の驚きは、やっぱり500以上の言語があること。なんだけど、 夜ご飯の後に、学生みんなで先生を宿泊施設まで送りに行った時に、「どうして500もの言語があるのか」と言う話をちょこっと聞くことができた。 それによると、歴史的に、イギリスに植民地化される前は、500の小さな独立した国と言うか、社会だったんだって。それが、イギリスが来てからそれを全部まとめて「ナイジェリア」ってしたんだよ。って言われてました。 日本の約2.5倍の面積の土地に、500以上の国が存在していた。って、 やっぱり、すごいねーー。 その一つ一つが、独立した社会を築けるほど、その地域の中で作物がとれ、人々が生活できたってことなんだよね。きっと。 個人的には、その社会の様子を見てみたーいって思ったのでした。 #
by fujika0316
| 2009-11-17 15:03
| 近況
どうもどうも。
最近、どんどん寒くなっていきますねーー。 昨日自転車に乗ったら、寒さで耳と頭が痛くなったよ。 2年ぶりの冬。 あー、タイが恋しい・・・。 今日は、小さいネタを。 今回、グアテマラで無くした物が、盗まれたものが一つだけある。 さあ、それは何でしょう!!?? なーんて。 正解は、 都会の街中を歩いているゾウさんと、キリンさんのお尻が写っているモノクロの写真 が表紙のノートです。 ちなみに、表紙の肌触りもいいです(笑) 今年の4月。修士論文の気合を入れるために何冊かノートを買った。 やる気を出すために、ちょっと奮発して、ポケットのついている緑色のノートと、 その、ゾウさんと、キリンさんのモノクロの写真が表紙のノートを買った。 結構かわいくて、お気に入りだった。 アイディアをメモしたり、アドバイスを書き込んだり、読んだ文献の内容を書いたり・・・。 そして、グアテマラへ、その2冊のノートとフィールドワーク用のノートを持っていった。 ソロラについて、教育省の事務所に行った日、そのゾウさんのノートを見たグアテマラ人に、「かわいいねーー」 ってほめてもらった。 そして、事務所二日目。 ソロラの地図を発見したので、許可を取ってコピーして。 他にも、受け取るはずの書類があったので、いろいろ、ごちゃごちゃ動いていた。 そして、ふと気付いた時に、 あ、ゾウさんのノートがない!!!! 一応、ノートの最後の記憶をたどってみたり、その日立ち寄った場所をもう一度通ったりしたんだけど、結局見つからなかったよーーー。 たぶん、何かをしているときに、ノートを誰他の机の上においたままにしちゃったんだね。 ノート自体はそんなに高価なものじゃないから、なくなってもいいんだけど、 中に書いてある情報がーー!!! メモがーー!! ほとんど日本語で書いてあるから、グアテマラ人、意味わからないと思うけど。 いろんな走り書きもある。 なんか、ノートを持って行っちゃったグアテマラ人が自分の中で所有するだけならいいけど、どこかでハプニングが起きて、どこかの日本人に読まれちゃったら恥ずかしいなー。。 ノート、盗んでもいいけど、書いてあるページだけ置いていって欲しかったなー なーんて、願いは届きませんねー やっぱり、グアテマラでは、常に無くしてもいいものだけ持ち歩きましょう。 ちょっと、かわいい物も、かわいい人も、狙われますよー なーんて☆ #
by fujika0316
| 2009-11-14 09:48
| グアテマラ
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