思うこと。

増税より 国会議員の 給料減らせ
 
世の中には、天災と人災があって、よく見極めないといけないと思う。

例えば、地震やハリケーンなどの災害があって、直接被害を受けるのは天災だけど、
被害物資が首都まで届いているのに、それを采配する人の実力が足りず、
被災者まで届かないために苦しんでいたら、人災。

口蹄疫の問題が起きたことは、ある意味天災だけど、
その問題が起きているのに、当時の農水省の大臣が9日も休暇を取っていて
対応が遅れたことで、広がったことは人災。
被害が広がったために対応するために必要な費用は増え、
その金額は、税金から払われる。

沖縄の基地の問題でも、首相が何度も沖縄に足を運んだけれど、
その、移動代も、SPの給料も、ぜーんぶ、税金から支払われる。

今、消費税増税の議論がされているけど、私が危険だなって思うのは、
“2大政党制”をうたうことで、
どっちが勝っても10%増税になるように、仕組まれているように感じること。
選挙が終わって、増税になっても「選挙で国民の皆さんが選んだ結果です」
はい、終わり。
になることが怖い。
今は、選挙のために税金の議論の方向性が、また見えなくなってきたけどね。

本当なら、財政立て直しのための政策は一つではない。
「財政が厳しいから、10%増税」が、一番いいと言う結果を出す過程には、
消費税は7%にして、やっぱり、高速の無料化をやめましょう。とか、
消費税は、8%まで上がったら、消費傾向には、このような変化が見られると予測して、
その部分の負担は、医療費の自己負担で賄いましょう。とか、
そういった、議論が必要なんじゃないかと思う。
10%の増税が悪いと言うことよりも、その過程の議論が見えないことの方が
私は危険だなぁ。と思う。
ま、その過程がないのかもしれないけど。

同時に、各省庁の予算と、その配分と、政治家の給料と、いろーいろ、オープンにして、
色んな案や、その影響を吟味しながらの議論を通さないと、
答えなんて、出ないと思う。

それが、じゃ、どっちが勝っても、消費税10%になるから、財政は大丈夫。
仕分け人で、頑張って無駄削減しようとしてる様子は、伝わってるでしょ。

のような、裏の声が聞こえてくるのは私だけだろうか。。。

最小不幸社会なら、
国会議員という最少人数のひとびとが、身銭をきって、
国民のために働いたらどうだろうか。

でも、月に何百万と言う給料をもらってしまうと、
自分の身を守るのに、汲々としてしまうんだろう。
だって、去年の選挙の後に、1日議員をしただけで、1か月分の給料をもらってたからね。
味をしめて、言うこと言えなくなったら、改革どころじゃない。

でも、そんな議員達を選んでいるのは、国民なんだよね。
大事なのは、「国民が政治を監視する」ということだと思う。
ただ、政治家の利益のための票になってしまっては意味がない。
どの党も、それぞれ、支持をする人が言うべきことを言っていくことが大事。
そして、納得いかない時は、応援しないと示すことも大事。
そうしないと、ただの票になってしまう。

比例区は、決めてるんだけど、
小選挙区、入れる先がない。と思いながら。
この一票を無駄にするよりも、
2大政党制にささやかながら抵抗をすることにした。
それぞれの政党に、いいところも、改善すべきところもあると思うけど、
「制度」マジックで、だまされるのは悔しいと思う。
そんな、今の気持ちでした。
# by fujika0316 | 2010-07-07 23:02 | 近況

Rural Area--


私の町は、静岡県のド真ん中ーー (地理的に)ーーー

最寄りのJRの駅まで、車で20分。
バスで30分、 しかも、400円ーーー

静岡市まで、東名バスで、片道約600円ーーー

新幹線の駅まで電車で、50分とか、30分とかするし、
静岡は、のぞみちゃんが泊まらないから、新幹線の選択肢が少なーい。

そして、最寄駅は、朝の6時から、21時くらいまでしか駅員さんがいない。

今は、自動改札も、防犯カメラもセットされてるけどね。
昔は、箱の中に入れれば、外に出れたのよーー

朝、駅員さんがいない。
と、いうことは、
切符の自動販売機以外の切符が買えない。。。

ので、土曜日の新幹線の切符を、仕事終わりに買いに行った。

すると。。。


「16時30分まで駅員は席を外しております」 との張り紙が、窓口に。

その時、時刻は16時。

なので、隣の駅まで行くことに。

無事に買い終わり、動き出すと、時刻16時30分
なんか、ガソリンと、時間の無駄をしたような。。

あぁ、Rural area---

ま、でも、電車が走ってるだけ、いっか。
# by fujika0316 | 2010-06-23 19:22 | ひとりごと

教育について考える


学校にいて感じることは、先生達が意識している・していないに関わらず、
教育現場には“価値観”が存在しているということ。

例えば、最近、こんなことがあった。


私は、掃除の時間にある場所を担当していて、
生徒は、ある組から9人のメンバーが来て、一緒に掃除をする。
その中の一人の子は、ま、ついつい、ふざけてしまうんだよね。
そこで、
ある日、3年生が修学旅行でいなかったので、3年生の廊下を拭いてもらうことにした。

その時、その子は、雑巾を下において、足で踏んで拭き始めた。
それを見て、一応‘先生’として、「手で拭かなきゃだめだよ」と私は注意した。
すると、「だって、汚いんだもん」 と言ったので、
それを聞いて、“確かに。ま、それもそうだな”と思って、
ほっておくことにした。

しかーし、タイミングが悪いと言うか、いいというか、
その一部始終を見ていた先生に、
「ちゃんと、手で拭きなさい!! しっかりやるまで見ているから」と言って、
注意したんだよね。
その子が怒られている間、私も怒られている気分がしてたんだけどね。

これから、私が感じたのは、いろいろな先生の間では価値観というか、
評価の基準が違うんだよね。

「きれいになればいい」という私の考えもあれば、
「掃除は、ちゃんと正しい形でやる」という考えもある。
だって、その子が手で拭いていても、力を入れてなかったらなぞるだけできれいになっていないんだけど、それでも、手で拭いているから、足で拭くよりBetterなんだよね。

他にも、日本の「公教育」の現場にいて感じるのは、
“集団の秩序を大事にすること”
“決まりを守ること”
が、結構大事にされている価値観だと思う。
だから、“決まりを守れない(守らない)子”
“集団の秩序にはまらない子” 
は、怒られるし、守るように「教育しなければならない」と、
思われているし、そこにかける労力は大きくなっている。

他にも、授業においても、先生達の価値観というか、方針があるなぁ。
それによって、授業の流れ、生徒の反応に違いが出てくるなぁと感じる。

「公教育」と言うことは、やっぱり“公”の価値観や、秩序に合う教育をするってことで、
その“公”の価値観は国によって違うんだよね。
それを表しているのがカリキュラムなんだけど、
その、カリキュラムを教える授業の中には、秩序があって、
その秩序の中で、何に重点を置くのかは、先生によって違うんだよね、、


一方、私立学校というのは、
カリキュラムという、「学習内容」は、その国に従いながらも、
「教育方針」として、独自なものを掲げられることに、
一つの特徴と、可能性がある気がする。
ま、私立といっても、いろいろーーなものがあるんだけどね。

そんな、こんなを感じながら、教育についていろいろ考えつつ、
これからも、勉強しようと思います。

6月6日の佳き日に。
# by fujika0316 | 2010-06-06 23:40 | ひとりごと

ついつい。



さて、クイズ第2弾です!!

私は、今(5月23日午前0時)、どこにいるでしょう??



正解は、


東京近郊のグアテマラ同期隊員のお家でした!!!

今日と明日でスペイン語のDELEという検定があって、それを受けに来てるよ。
今日が筆記で、明日が面接です。
朝、すごく早かったー。
8時半に会場に集合だったので、5時半に家を出て、6時直前の電車に乗って、
新幹線に乗り換えて‐‐‐ 東京へーー
遅刻しないか心配で、この2日間、新幹線に乗り遅れて遅刻する夢を見た。
こう見えて、心配症です。

意外とたくさんの人が受けていました。

ひとつ、失敗をしました。
作文の時に、150字から200字の間で書きなさいっていう課題で、
テーマが、
「あなたは、大事な友人の住む街へ行く旅行をゲットしました。そのことをその友人に知らせる手紙を書きなさい」

「あなたの大事な友達についてと、その関係をずっと続けるためにどんなことをしたらいいですか?」

っていうのなんだけど、
研究プロポーザルが通ってグアテマラに行けることになった!というのと、
グアテマラ隊員時代のカウンターパートについて書いてたら、熱くなってきて、、、、
たぶん、書き過ぎちゃったよ!!

書き終わって、解答用紙回収の時に「200字まで」って気付いた。

ま、いっか。
# by fujika0316 | 2010-05-26 20:35 | 近況

脳みそマッサージ

この週末は、大学で先生の研究プロジェクトの会議があったので、
お手伝いで行ってきました!!
朝10時から始まった会議、脳みそが刺激されまくりの一日だったよ

研究って何だろう?
教育って、何だろう?
これから、どこに向かっていきたいんだろう?
って、カオスの中にいる私にとって、沢山のヒントをもらったと共に、
自分を見つめなおすことのできた一日になったんだー

なんかね、去年一年間の中で、色んな変化があった
最初は、次に進んで、勉強したいっていう思いが強くって、
でも、次の課程を、どこで勉強するのか、何について研究するのか、
どこの研究科に行くのか、開発なのか、教育なのか?
それとも、働いて、実務経験を積むのか、
でも、働くと言っても、どの分野で働くのか。
日本の教育現場なのか、
発展途上国の現地に行ってその地域について、更に深めていくのか、
それとも、開発分野のステップなのか・・・。
でもね、「開発」って、実はトリッキーで、
トレンドとか、需要が常に変化しているだよね。 だから、
結局大事なのは、私でいえば「教育」における専門性を持つことのような気がして、
でも、教育の中で、何を専門とするのか、したいのかが、自分の中でまとまっていなくて・・

と、
沢山の選択肢があると同時に、
考えるほど、自分が中途半端に感じられて、、、
一つの進路を選ぶと言うことは、その時点では他のものができなくなる。
だからこそ、次のステップを「選ぶ」ことの重さに耐えられなかったし、
なんだか、時間が必要だったんだ。

そんな自分の気持ちがずっと、ごちゃごちゃしたまま整理できなくて、
勢いで進んじゃえっていう覚悟もなくて、
そんななかで、論文のことも含めて、時間が欲しかった。

そして、実家に帰ってきて、学校での仕事が始まって1ヶ月が過ぎて、
今の学校での生活にも慣れてきて、
その一方で、比較教育学会に関するアンケートの結果を見ている中で、
考えたり、悩んだりしていて、

その中で、この会議を通して色んな話しを聞きくことができて、本当に良かった。
夜の飲み会や、帰りの地下鉄で色んな話を聞きながら、
沢山の刺激を受けたよ。

その中でね、一番感じたことはね、
研究って、やっぱり楽しそうだっていうこと。
研究について、真剣に議論したり話している先生達の話を聞いていて、
何かを考え、追究していくことって、楽しそうだー って思った。単純に。
自分も何かに一生懸命になりたい

そして、同時に、「自分」を持つことの大切さを感じた
会議の中で、プロジェクトの中で「自分で気付いていなかった自分」
に気付いた様子を語られている先生の話を聞いていて、
「自分で気付いていなかった自分」に気付くためには、
「自分」という枠があることをなんとなく感じている必要があるんだと感じたんだ
その枠は、それまでの経験であり、研究してきたこと、仕事してきたこと、
考えてきたことの積み重ねで、ちょっとずつ出来てくるものなんだけど、、
その枠がね、大事なんじゃないかな。
もちろん、その枠は常に変化し続けるんだけど、
その枠はね、沢山模索して、勉強して、研究していくほど、
個性として輝いていく気がする

私はね、もっと、もっと、磨きたい。何かを
# by fujika0316 | 2010-05-11 20:25 | 近況